9/24/2010

competition

competition ....

この言葉はカラダを強張らせる。

私はとにかく競争、張り合い、争い、競い合いが苦手だ。
その雰囲気を察知しただけで、ゲンナ〜リしてしまう。

小学生の頃、通信簿の–あなたの良い所−の欄には
いつも「協調性がある」とだけ書かれていた。

「忍耐強く努力できる」でも
「積極的にがんばれる」でも
「負けず嫌い」でもなかった。

 ただの「協調性」・・・
通信簿を手にした親の反応を見ても、ポジティブな言葉には思えず、
両親を喜ばすことも出来なかった自分には なんにも取り柄が無い と思いながら大人になった。

30歳になってから念願だったフラを踊り始め
どっぷりとハマった自分に驚きながらも6年が経つ。

フラはソロで踊る以外は群舞だ。
とにかく他と揃えること。が要求される。

その為にはエゴを捨て 無 になる。
みんなの息づかいを感じ、無邪気になった時
その瞬間がやってくる。

音楽やビートと繋がり、仲間と繋がり、
ハイヤーセルフ(高次の自己)繋がった時に
フラは全てを結びつけてくれる。
そして最高の癒しと喜びが与えられ、
感謝の気持ちが溢れ出す。

 私の長所として先生が見いだしてくれた「協調性」

それはフラという最高の贈り物を通して、再確認させてくれた。

と、そんな話を母にしたところ「協調性があるって、立派な長所よ」と。

遠回りしながら、15年近く掛かって
ようやく自分の中でHo'oponoponoすることが出来た。



 日常に起きる物事はエネルギーだ。

それは単なるエネルギーとして存在しているので、良くも悪くもない。

良い、悪いを決めるのは自分のココロ。

一般的に「悪い出来事」と理解されるような事が起きても、
実際、立場や考え方が変われば、それは「良い事」にもなりうる。

感情でココロを縛り、他人や自分をジャッジし責め続けていては
永遠に「良い事」はやってこない。

楽しいはずの一日を台無しにしてしまったり、
心配事から抜け出せなかったり、自分を責め続けたり、
他を傷つけるのは当然の報いだと言い訳を作ったり、
優位に立ったり、利用して当たり前だと思ったり。

と、すぐ罠に嵌ってしまう。

本当のcompetitionは 自分自身のエゴ・感情との争い。

 起る事全ては自分自身が決めている。
と自覚することで、魂を高いレベルへと進化させてくれる。

要はどう頭を使うかだ。

楽しんで自分と競って生きたい。