11/03/2006

聖なる癒し

Universe

 人生初めての経験だった。

SpilitそしてSoulとの会話。

すぅーっと入り込むように、浸透するかのように、
でも押し付けがましくなく

 あなたは誰ですか?何者ですか?どんな魂ですか?

そう問われているような気がした。

自から身に纏って、防御していたものをスルリと通り抜けて、
とつぜん、宇宙に放り出されたような感覚だった。

そして気が付く。
 あ、私も宇宙の1つの細胞だったんだ。

すべてが対等であり、すべてを包括するもの。
それが自分であり、universeなんだ。

ふぅっと何かが抜けていった。

そして眩い白い光が降りてきて、
それはMo'oになり、Pueoになってまっすぐ羽ばたいてきた。

 Aumakua だ!


シャカシャカというネイティヴ・アメリカンのラドルの音が
ハワイアンミストとなり、体全体を包むように染み込んでいく。


そうして私は癒された。人生初めてのLomilomiだった。

その後も、ずーとAumakuaのメッセージは力強く、
私の中で鼓動を続けるのでした。

10/31/2006

きっかけは・・・交通事故

Universe

27歳で幼稚園からの幼馴染と結婚、そして3年後離婚。
なかなか社会復帰ができず、あたふたとしてるうちに30歳を過ぎてしまった。


夢だったお花の勉強しにオランダのフローリスト宅へ。
気分を変えたくて、新しい自分にも会ってみたくて、
ついでに1ヶ月程バックパッカーでヨーロッパ放浪。

ヨーロッパも面白い!でも、なにかが違うんだな。。。

ずーっとずーっと将来はハワイに住む。
って初めてハワイを訪れた子供の頃から漠然と、
でも確かに思っていた。
夢はそのために動き出さないと、前に進まない。

・・・そろそろ、叶える頃かな。

まずは先立つものはお金だよね。
1年限定で夢のためにwワークを始めた。

日中の仕事は自分のライフワーク。
ここで稼ぐお金はライフワークである仕事のために使いたい。

プラスαとして夕方から夜まで銀行の仕事を始め、
1年間、夢のために頑張れたらハワイへ行こう。そう考えていました。

ハワイ行きを決めた頃から、付き合っていた彼とだんだんとすれ違うようになり・・・
結局、道が違うねってことに。

そうして半年を過ぎた9月、仕事に行こうと車を運転中、交通事故にあったのです。

赤信号で停車中に、わき見運転の4tトラックに突っ込まれ 3台の玉突き事故。
あれ?私の車ってオープンカーだっけ?窓ガラスが全て無くなってるぅぅ;;
後部座席がグッシャリ潰れてしまった。
誰かが乗っていたら・・・と思うだけでぞっとする光景。

そのまま6日間の入院を強いられ、鞭打ちのために仕事も出来ず。

 夢のために頑張っていたのに、なぜ、中断せざるを得ない出来事が起きたのだろう。
 これは、止めろっていうことなのだろうか???どんなメッセージがあるのだろう?

療養中、何度もその考えが、何度も、何度も浮かんできた。。。。

正直、夢が絶たれたようで、悔しかった。
その反面、なにかクリアにしなければならないものがあるのかも。
なにか気づかなきゃいけないのかもって感じていました。

それから3週間の後、マウイ島から来たLomiLomiの先生に会い、そこから大きく流れが変わることに。

もともと事故に合う前から、セッションに予約を入れていたので楽しみにしていました。
当日、まさかクビに固定用カラーをはめたまま行くことになるとは夢にも思ってはいませんでした。が。。

9/24/2006

Ka 'Aha Hula o Halauola

2005年 7月28~30日

      マウイ島で行われた4年に1度のワールド・フラ・カンファレンス
        Ka 'Aha Hula o Halauola   World Conference on Hula  
        http://www.hulaconference.org/   に参加。

       ハワイ各島はもちろん、アリゾナやスイスからも
       年齢も人種もさまざまな人が集まってる!!

      さっそくレジストレーションしなくちゃね。・・・ってどこ?
      「あなた達、レジストレーションはこれから?こっちよ。」      
      私達のおっきな「?」のサインが見えたみたい。
      カリフォルニアからのハラウの人が声を掛けてくれた。

      その黒+ライムグリーンのパウスカートってば!
      LAのケアリー・サバロスさんのハラウの方ですよね!?

      「私のハラウに日本語出来る子がいるのよ。」って
      わざわざ日本人ダンサーを紹介までしてくれたのです。
      Hula っていうkey wordだけでこんなに繋がってく!
      嬉しくて。嬉しくて。
      
      会場に集まった人たちのパウスカートの種類にビックリ!
      それぞれのハラウカラーだったり、好きなデザインだったり。
      
      私達のパウはグリーン一色。んー地味だね。でもお気に入りょ♪
      なんてったって自分のハラウが一番誇りだもんね。
     
      クムが良く来たねってハグをしてくれた。涙が出そーぅ。
      「これから毎朝、ハラウの人達と並んで練習すること。」とのお達し。
      頑張ります☆
     
      毎朝7 時からHakikinoに参加し、カヒコを習う。

      
「自分の習っているスタイルでやること。」といわれる。
      
Hakikinoのステップはみんなそれぞれハラウ独特で
      見てるだけでもとっても面白い。
      
      Kaholo,Ami,Hela・・・ウデの構えやステップの踏み方もそれぞれ。
      
      8時コートでモリモリ朝食を取り、午前のクラスを受ける。
      課外ツアーもあったりして、とにかく盛りだくさん。
      植物園でネイティブプランツについて学んだり、
      タパ(ハワイ伝統の木の皮を叩いて作る布)の作り方を教わったり。      

      昼食は木の下で食べ、芝生の上で食休み。

      午後も英語と格闘しながら講義を受けて・・・
      合間に友達が出来て Aloha! なんて声掛け合ったりして。

      夜のホイケは大盛り上がり。
      風の島Mauiの夜は結構寒くてバスタオルやらを被ったりして(笑)
      
      コンドに帰ったら夜中まで習った曲を復習。

      丸三日間、フラ漬けの毎日。
            
      いくつかの特別忘れられないレッスンがありました。
 
      Kumu Ancle George Holokaiのレッスンを受けたこと。
      となりにKumu hula Uluwehi Guerreroがいて、
      私達が判らない振りを楽しそうに教えてくれたこと。

      Halau O kekuhiの授業でHolo mai Peleを見れたこと。
      いつもは見れなかったKumuのお茶目な姿を知ったこと。
      Pagan Pride をみれたこと。。。。

      そして  Hula Lives!それを肌で感じれたこと。
 
      それが私をHula holic にした一つの大きな原因かも(笑)

      次回は2009年オアフで開催。待ち遠しーーーーぃ!!


8/25/2006

Hawai'ian Magic

2000年 夏
       おススメのコンサートがあるの!とハワイ&Hula好きな友達に
       誘われてハワイアンのコンサートへ。
       
       そのステージのセンターで踊る彼女を見た瞬間・・・
       14年ぶり 私はまたしても しびれちゃった のでした。

       ぜったい これ!このHulaがやりたい!!これじゃなきゃヤダ!!

 2001年 夏 
       しびれちゃった1年後の同じステージ。@日比谷野外音楽堂
       その年はアーティストのお婆様が前年10月に亡くなられたための
       追悼コンサートでした。
       
       折りしも天候は雨・・・コンサート中止にならないのかな?
       傘と雨合羽で防備して客席に着く。

       コンサートが始まる その直前。雨が止んだ。

       チャントと共にスモークが焚かれ、幻想的な雰囲気に。
       と、直前まで降っていた雨がロイヤルブルーの霧となり、
       すっぽりと会場を包み込む。
       
             Hawai'ian Mist だ・・・

       鳥肌が立った。Hawai'i には強力なManaがある。
       日本でそう実感した忘れられない最初の出来事だった。


     それから毎年、 夏のコンサートに行くのが恒例に。

     数年後、まさか自分がそのステージで、
     しかも最前列中央で踊ることになるとは、
     夢にも思っていなかったのでした。
      

5/01/2006

Hula Halau

 2004年 9月のある日。
      ハワイ気分満載のお気に入りのラジオ番組をなにげなく聞いていたら、
      何度もCDで聞いた覚えのある声が。。。
  
      彼の英語を正しく理解できているか不安になるほどドキドキ。
      『この夏、日本にハラウを開くことにしました。』 ----えぇっ!?

      慌ててweb siteをチェック。
      【生徒募集は締め切りました】 と書かれている。
      ウソでしょーーーーっ!私はここに入るんだ!そう決めてたの!!
      情熱だけでポチッとメールを送信。

      そうしてめでたく憧れのハラウに入ることになりました。

2004年 9月末日
      生まれて始めてのフラ・レッスン 初日
      
      他のメンバーのみんなより1ヶ月遅れてのスタート。
      しかも、場所の変更を知らなかった私はレッスンに遅れて到着。

      実際、この時 初めてフラをやった。

      初めてパウを履き、あまりのボリュームにびっくりした。
      髪の毛一つにまとめることや汗をかくことすら考え付かなかった。
      
      『これに着替えるんだよ。髪の毛のゴム貸してあげる。』
      なにがなんだかまったく分かってない私にフラシスターが出来た。
      彼女は今も私の素敵なお姉さん。


      10月
      レッスンで言われてること、クラスの子が話す内容がまったく理解不能。
      アラカイ、カヒコ、アウアナ、カホロ・・・なんのこっちゃい!!
      ジャニーズくらい区別がつかない(笑)


      11月
      声を掛け合う仲良しのフラシスもでき、楽しくなってくる。
      それまで波乗りとスノボーくらいしか運動をしていなかった私。
      レッスンの激しさに体力が付いていかず、緊張と疲労のあまり、
      毎回、帰り道で吐き気でヘトヘトになり家に帰っていた。
    
      こんなんで、大丈夫? 私?

2/15/2006

the Island

 ずっとハワイに行きたいのに なぜかずっと日本で暮らしていた。

 まだ、今じゃない。まだ、その時じゃない。 なぜかそんな気がして。
 
 でも、心のどこかで、私は絶対にハワイに帰る。ってそう思っていた。

 帰る島を 帰るべき時を 探していた。

 いつか 必ず導かれる時が来ると感じていたから。